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2010年03月04日

「江戸立探検隊」名瀬フォーラム

 TwitterのTLに”奄美図書館で講演会・・・”とあるので、今日なんかあったっけと検索してみると、琉球大学開学60周年記念事業としてフォーラムが15:00から始まることを知り、慌てて行ってきました。
 ポスターはこちら
 なんで慌ててまで行ったかと言うと、弓削正己さんと町健次郎さんの講演があるからです。
 会場へ行くと10分前。すでに席はかなり埋まってましたが、知り合いがいたので同席させてもらいました。
 全座席にしっかりしたパンフレット。

 5箇所で行われるフォーラムの全レジメが1冊にまとまってます。全78ページのボリュームです。

 講演に先立ち、進行役の琉球大学教授、高良倉吉さんがお話をされたのですが、以前ご紹介した「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」に触れ、その中の戦後の沖縄と奄美の関係を紹介したのが、ネットでは沖縄を陥れるヒドイ本だというような書評を見ていたので、ちょっと驚きでした。

 さて講演はというと期待に反しない勉強になる内容でした。

 まず、弓削さんは「江戸立コースの前提としての薩摩藩の奄美諸島分割支配と道の島の役割」。
 「江戸立」とは薩摩の琉球・奄美侵攻後に、琉球が江戸へ登り、徳川家へ挨拶にいく旅のことを指すのですが、弓削さんがお話されたのは薩摩が琉球・奄美に侵攻した時に薩摩と琉球はどのように支配の区分を行ったかということと、この江戸立のルートとなる「道の島」の解釈についての2点でした。
 薩摩の琉球・奄美侵攻というと薩摩側からの視点が多い中、弓削さんが指摘したのは琉球国保全のために、琉球古来の領土という意識から伊平屋島以南以外、与論島以北の奄美群島を薩摩に割いたということです。
 古来ということは琉球国の成り立ちとして、奄美群島がどのように組み入れられたのかという事にも関係してくるのでしょう。弓削さんは言及しませんでしたが資料に薩摩侵攻以前の琉球と奄美の史実を掲載してあります。
 そして、「道の島」という解釈について、これまで薩摩が琉球・奄美へ侵攻するための「道の島」というマイナスのイメージがありましたが、弓削さんは1632年の資料の記述にある「琉球道の島」という表記を挙げ、”通商の便を取る(くつろぐ)、よろどころとしての避難港、日本と中国との通り道という意識。これは薩摩藩の直轄支配のみでは出てこない概念、交易上の概念から来ている”と指摘し、さらにペリーの認識や薩摩支配下においても奄美の人々が制限があるにせよ薩摩や琉球へ行き来していたこと指摘します。

 弓削さんは今回の講演だけでなく、これまで”薩摩の圧政によって奄美がこんな悲惨な目にあった”と言われてきた話に新説を出してきています。
 例えば奄美の一字姓。薩摩が奄美の人々と薩摩の役人を区別するための制度と言われていましたが、「奄美学 その地平と彼方」(南方新社、2005年)の”奄美の一字名字と郷士格について-その歴史的背景”で、”東アジアを律する国際環境で、中国が一字名字であることともに、冊封体制の中国への公文の名字が一字ということによると考えられる。”と解説しています。
 また、今年2月12日付の南海日日新聞の”シマジマの海路-2-商社取引が出発点”の中で、薩摩藩から鹿児島県となっても砂糖を専売しようと設立された大島商社の問題も、鹿児島県の特別な運動ではなく、”旧慣同様な専売制志向の県およびそれと結びついた商人らと百性との対立は、内容に違いがあるにしても、奄美諸島だけの運動ではなかった。”と解説しています。
 確かに、薩摩藩支配時代とその後も奄美というのは搾取されたり虐げられたりしましたが、それだけを見るのではなくて、その時代の日本と世界の動きまでも見ないと本当のことはわからない、単に被害者意識だけが強調されてしまうんだなと考えされらました。

 町健次郎さんは”「奄美」呼称の来歴とその周辺”。
 実はこのテーマ、昨年から個人的にアレ?と思って調べていたことですが、町さんは単に地図にいつから奄美が表記されてきたのか、だけではなくて、同時に文献の中にいつから表記され、それがどんな時代背景によるものなのかという内容でした。
 実際に”奄美”という地名が地図上に現れるのは明治7年の海軍の地図で、民間用の地図では明治32年に現れるの最初です。
 ではそれまではどのように言われていたかというと、あっても北部琉球といった大雑把な名前だけであり、現在の奄美大島は大島です。
 しかし、町さんが指摘したように国防上の問題から全国に大島がたくさんあっては困るので”奄美”をつけたようです。
 では”奄美”はどこから持ってきたのでしょうか。
 これは明治時代というのは天皇制の復活であり、それまでの徳川幕府を否定するものです。ですから、明治に入って天皇制の時代の名称が多くの地名に使われたようです。
 ちなみに都道府県名の由来を検索してみて下さい。
 そして”奄美”にちなみ開闢神話の由来、日奄琉同祖論から日奄同祖論への転換なども興味深い内容でした。

 いやー、間に合ってよかった。
 弓削さんの一字姓の話ってどこに納められてたか探して、あらためて調べながらまとめていたら、記事をアップするのが遅くなりました。

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この記事へのコメント
こんにちは!これ、聞きたかったんですよねー。奄美はホントに面白い企画の多いところです・・・。今度レジュメ見せてくださーい。
Posted by biza at 2010年03月04日 21:23
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