2010年02月23日
講演会「古代日本と奄美世界」
先日お知らせした講演会になんとか行くことができました。
行ってよかった~という内容でした。
講師の池田先生は以前から知っている方で、「かずみ」でよくお会いして色々質問させてもらってました。
今回の講演は池田先生が考古学をはじめてから約25年の中間報告のような内容で、太宰府の木簡が発掘された昭和59年からここ25年ほどで変わりつつある日本の古代史のお話でした。
昨年末にまとめた本が出ているのですが、何せ高い!8400円です。
すぐには買えないし、まずは図書館で借りてから。ということでなんとかがんばってメモをとりました。
いまだに場所が特定されていない邪馬台国ですが、何故、邪馬台国の存在がわかるかというと中国の記録に3世紀はじめに邪馬台国から文書があったそうです。
これを皮切りに14世紀に行われる日宗貿易まで、朝鮮半島と中国を含めた東アジアの情勢によって日本も大きな影響を受けます。
その中で、太宰府から発掘された木簡は8世紀頃のものと見られ、単に南方の産物が太宰府に届いたというよりも、木簡に地名を書くような、きちんとした交易システムが奄美から太宰府にあったようです。
この7世紀から14世紀には奄美に関わることが多くあります。
遣唐使の北路(朝鮮半島経由)から南路への切り替えが660年の百済の滅亡によって起こり、屋久島・奄美を経由したルートとなります。
笠利町や奄美市名瀬小湊の遺跡から発掘されたヤコウガイは平安時代(9世紀~12世紀)の貴族の嗜好品であっただろうと考えられています。(宇津保物語)
徳之島で発見されたカムィヤキは12世紀~13世紀と言われていますが、その技術は高麗(朝鮮半島の新羅の後の国)ではないかと考えられています。
さらに、宗の前の唐の時代の「開元通宝」が奄美で多く発掘されています。
さらにその間に力をつけた琉球(沖縄本島)が日宗貿易の中心となっていきます。
喜界島の城久遺跡はまさにその切り替わりの時期の遺跡なのかもしれません。
これらのことから日本の古代史は”日本一国の研究から東アジア研究への転換、東アジア海域史の提唱”が行われているということでした。
Wikipediaの日本の歴史でも簡単に古墳・飛鳥・奈良・平安時代と朝鮮半島との関わりが触れられているだけですが、このあたりがこれから変わっていくのかも知れません。
なおWikipediaでは奄美諸島の歴史としてまとめられていますが、断片的な情報だけのようですね。
行ってよかった~という内容でした。
講師の池田先生は以前から知っている方で、「かずみ」でよくお会いして色々質問させてもらってました。
今回の講演は池田先生が考古学をはじめてから約25年の中間報告のような内容で、太宰府の木簡が発掘された昭和59年からここ25年ほどで変わりつつある日本の古代史のお話でした。
昨年末にまとめた本が出ているのですが、何せ高い!8400円です。
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すぐには買えないし、まずは図書館で借りてから。ということでなんとかがんばってメモをとりました。
いまだに場所が特定されていない邪馬台国ですが、何故、邪馬台国の存在がわかるかというと中国の記録に3世紀はじめに邪馬台国から文書があったそうです。
これを皮切りに14世紀に行われる日宗貿易まで、朝鮮半島と中国を含めた東アジアの情勢によって日本も大きな影響を受けます。
その中で、太宰府から発掘された木簡は8世紀頃のものと見られ、単に南方の産物が太宰府に届いたというよりも、木簡に地名を書くような、きちんとした交易システムが奄美から太宰府にあったようです。
この7世紀から14世紀には奄美に関わることが多くあります。
遣唐使の北路(朝鮮半島経由)から南路への切り替えが660年の百済の滅亡によって起こり、屋久島・奄美を経由したルートとなります。
笠利町や奄美市名瀬小湊の遺跡から発掘されたヤコウガイは平安時代(9世紀~12世紀)の貴族の嗜好品であっただろうと考えられています。(宇津保物語)
徳之島で発見されたカムィヤキは12世紀~13世紀と言われていますが、その技術は高麗(朝鮮半島の新羅の後の国)ではないかと考えられています。
さらに、宗の前の唐の時代の「開元通宝」が奄美で多く発掘されています。
さらにその間に力をつけた琉球(沖縄本島)が日宗貿易の中心となっていきます。
喜界島の城久遺跡はまさにその切り替わりの時期の遺跡なのかもしれません。
これらのことから日本の古代史は”日本一国の研究から東アジア研究への転換、東アジア海域史の提唱”が行われているということでした。
Wikipediaの日本の歴史でも簡単に古墳・飛鳥・奈良・平安時代と朝鮮半島との関わりが触れられているだけですが、このあたりがこれから変わっていくのかも知れません。
なおWikipediaでは奄美諸島の歴史としてまとめられていますが、断片的な情報だけのようですね。
タグ :古代史
2010年02月19日
九州国立博物館企画展「太宰府と南島」
奄美市立奄美博物館では九州国立博物館企画展「太宰府と南島」を開催しています。
奄美群島では初公開という太宰府史跡出土の「☆美島」(☆は木ヘンに奄)「伊籃島」木簡が展示されています。
この展示会に関連して琉球大学法文学部教授の池田榮史先生(考古学)の講演会が行われます。
木簡の歴史的背景について、太宰府との関係も指摘される喜界島の城久遺跡群などの最新の考古学的背景をふまえてお話いただけるそうです。
「古代日本と奄美世界」
入場無料ですよ。
奄美群島では初公開という太宰府史跡出土の「☆美島」(☆は木ヘンに奄)「伊籃島」木簡が展示されています。
この展示会に関連して琉球大学法文学部教授の池田榮史先生(考古学)の講演会が行われます。
木簡の歴史的背景について、太宰府との関係も指摘される喜界島の城久遺跡群などの最新の考古学的背景をふまえてお話いただけるそうです。
「古代日本と奄美世界」
- とき
- 2月21日(日曜日)
- ところ
- 奄美市立奄美博物館・研修室(3階)
- じかん
- 14:00~16:00
入場無料ですよ。
2010年02月16日
沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史
”奄美学といいながら、なんで?”と思われるかもしれませんが、戦後、奄美と共にアメリカ統治下となった沖縄の知られなかった歴史なのです。

共にアメリカ統治下で苦しい暮らしで、奄美は基地が出来なかったから早く日本に返してもらった。
一方、沖縄はその後も日本に返してもらえず、いまでも日本の犠牲になっている。
というのが戦後のイメージですが、戦後すぐの沖縄でおこっていたことを、この本で初めてしりました。
5章からなっていますが、その中の「2 沖縄のアンダーグラウンド」(2はローマ数字)を筆者の”はじめに”から紹介します。(カッコ書きは私がつけました)
これは「空白の琉球弧-奄美群島」と「伝説の義賊・清真島」に書かれています。
「空白の琉球弧-奄美群島」には戦後、基地建設に湧く沖縄へ疲弊した奄美から移り住んで行く人々が多くいたこと、そして奄美群島が日本復帰すると在沖奄美人としてアメリカ統治領の中の外国人”日本人”として扱われ、公職追放など、差別を受けたこと。
両親が育った時代、祖父母が同じ時代に生きていたはずなのに、知らないことばかりです。
お勧めするというか、沖縄・奄美の近代の歴史として知っておくべきことだと思います。

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共にアメリカ統治下で苦しい暮らしで、奄美は基地が出来なかったから早く日本に返してもらった。
一方、沖縄はその後も日本に返してもらえず、いまでも日本の犠牲になっている。
というのが戦後のイメージですが、戦後すぐの沖縄でおこっていたことを、この本で初めてしりました。
5章からなっていますが、その中の「2 沖縄のアンダーグラウンド」(2はローマ数字)を筆者の”はじめに”から紹介します。(カッコ書きは私がつけました)
これまでほとんど知られていなかった(沖縄における)奄美大島の差別の歴史と、そこからたくましく起ちあがった男が惚れる奄美のヤクザについて筆を割いた。
これは「空白の琉球弧-奄美群島」と「伝説の義賊・清真島」に書かれています。
「空白の琉球弧-奄美群島」には戦後、基地建設に湧く沖縄へ疲弊した奄美から移り住んで行く人々が多くいたこと、そして奄美群島が日本復帰すると在沖奄美人としてアメリカ統治領の中の外国人”日本人”として扱われ、公職追放など、差別を受けたこと。
両親が育った時代、祖父母が同じ時代に生きていたはずなのに、知らないことばかりです。
お勧めするというか、沖縄・奄美の近代の歴史として知っておくべきことだと思います。
奄美群島地域ブログ「しーま」




