2010年06月07日
「加勇田 藤良」物語 藩政末期~明治前期の医師
昨日は奄美郷土研究会の第322回例会と総会でした。
ここ数日続いている梅雨の雨のせいか、参加者が少なかったのが残念ですが、例会の発表内容は林蘇喜男さんによる藩政末期~明治前期の奄美で最初に医師免許をとった「加勇田 藤良」さんのお話で興味深い内容でした。
「加勇田 藤良」さんは「南島雑話」の著者「名越左源太」さんが奄美に流された時に家を提供した藤由気(とうゆき)さんの養子である嘉美行(かみゆき)さんで、後に改名したそうです。
しかも、名越左源太さんが奄美に流されてきた時に居をかまえた小宿集落へ案内したのが嘉美行さん。
左源太さんが奄美にいた間は方言を藤由気さんや嘉美行さんに習い、さらには算術を習ったということが左源太さんの「遠島日記」に記述されています。この算術というのは沖縄諸島のわら算ではないかと林さんは考えているそうです。
左源太さんが許しをもらい鹿児島へ帰る際に嘉美行さんは同行して医術を学び、明治17年には開業免許を渡されています。
嘉美行さんは奄美に帰ってきてからは小宿ではなく朝仁に住み、改名したそうです。
今回の発表は大島郡医師会創立50周年記念誌に発表した論文を資料として説明されました。
総会では郷土研究会の会長が竹島さんから大津幸夫さんに改選。世話人も追加となり、2年前からの郷土研究会の立て直しを継続していくことが確認されました。
これからの課題は新会員を集めること。現在、なんと40代は私一人。50代も3人ほどで、高齢の方が多いのです。
少しでも興味のある方は是非ご参加下さい。
ここ数日続いている梅雨の雨のせいか、参加者が少なかったのが残念ですが、例会の発表内容は林蘇喜男さんによる藩政末期~明治前期の奄美で最初に医師免許をとった「加勇田 藤良」さんのお話で興味深い内容でした。
「加勇田 藤良」さんは「南島雑話」の著者「名越左源太」さんが奄美に流された時に家を提供した藤由気(とうゆき)さんの養子である嘉美行(かみゆき)さんで、後に改名したそうです。
しかも、名越左源太さんが奄美に流されてきた時に居をかまえた小宿集落へ案内したのが嘉美行さん。
左源太さんが奄美にいた間は方言を藤由気さんや嘉美行さんに習い、さらには算術を習ったということが左源太さんの「遠島日記」に記述されています。この算術というのは沖縄諸島のわら算ではないかと林さんは考えているそうです。
左源太さんが許しをもらい鹿児島へ帰る際に嘉美行さんは同行して医術を学び、明治17年には開業免許を渡されています。
嘉美行さんは奄美に帰ってきてからは小宿ではなく朝仁に住み、改名したそうです。
今回の発表は大島郡医師会創立50周年記念誌に発表した論文を資料として説明されました。
総会では郷土研究会の会長が竹島さんから大津幸夫さんに改選。世話人も追加となり、2年前からの郷土研究会の立て直しを継続していくことが確認されました。
これからの課題は新会員を集めること。現在、なんと40代は私一人。50代も3人ほどで、高齢の方が多いのです。
少しでも興味のある方は是非ご参加下さい。
タグ :南島雑話
2010年05月25日
AMAMI News Letter

ちょっとカテゴリーがふさわしくないかもしれませんが、「AMAMI News Letter」というのは以下のような冊子です。
奄美ニューズレターは、2003年度からはじまった鹿児島大学全学総合プロジェクト「島嶼圏開発のグランドデザイン----南西諸島における環境ガバナンス型地域政策」の成果を発表する目的で発刊されました。
約5年間に発行された全34冊がすべてPDFとしてダウンロードできます。
目次もありますので、必要に応じてダウンロードしてください。
「奄美ニュースレター バックナンバー」
タグ :鹿児島大学
2010年05月22日
第332回例会のお知らせ
2010年05月11日
会報四十一号発行
奄美郷土研究会(http://www.amakyoken.com/)の会報第四十一号が発行されました。
目次を上記ホームページにアップしてあります。
会報は会員の方へ発送していますが、(奄美市名瀬)市内の書店(楠田書店、あまみ庵)でも入手可能です。
今号の注目は岩多さんによる「地図から視る名瀬の移り変わりI・II~琉球政府図・字絵図・古絵図から一考察」です。
この内容は膨大なので改めて郷土研究会から書籍として発行予定です。
他にも三上さんによる戦後の闇市から永田橋市場の成り立ちについての「豊かさの原点が『市場』(いちば)経済にみえる」も興味深い内容です。
目次を上記ホームページにアップしてあります。
会報は会員の方へ発送していますが、(奄美市名瀬)市内の書店(楠田書店、あまみ庵)でも入手可能です。
今号の注目は岩多さんによる「地図から視る名瀬の移り変わりI・II~琉球政府図・字絵図・古絵図から一考察」です。
この内容は膨大なので改めて郷土研究会から書籍として発行予定です。
他にも三上さんによる戦後の闇市から永田橋市場の成り立ちについての「豊かさの原点が『市場』(いちば)経済にみえる」も興味深い内容です。
2010年05月07日
「名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子」

上記画像は南方新社の紹介ページにjumpします。
名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子
この本に関しては「与論島クオリア」さんが先に紹介してくれていますので、そちらもご覧ください。
本書はとあることから名越左源太の「南島遠島録」にお菓子に関する記述を見つけたことから書き始めたブログ「幕末奄美遠島生活」を元にした江戸時代の食についての本です。
知人から紹介してもらって以前からブログは購読していて、色々と教えてもらったり、筆者が奄美にいらっしゃった時には白糖工場跡めぐりなどをご一緒していました。
実は奄美の食だけの本というのは少なく、レシピ本としては「新版シマ ヌ ジュウリ」があり、今の奄美の食に関しては蔵満さんの「奄美食(うまいもの)紀行」がありますが、食文化の由来についてはほとんどありません。
本書では江戸時代の奄美の生活を書き残した名越左源太の「南島遠島録」と「南島雑話」を読み解きながら、食文化を探っています。
その範囲は広く深く、例えば「鶏飯」については全国の類似する料理だけでなく、韓国や中国などまで考察を広げています。
といって堅苦しい内容ではなく、語りかけるような、一緒に歩きながら話しながら名越左源太さんのあゆみを辿っていくような優しい文章です。
南方新社さんのホームページに目次がありますので、ご覧いただくと色んな食に関する記述があるのがおわかりと思いますが、どれも興味深い内容です。
正直、イラストばかりに気をとられて、ここまで南島雑話を読んでいませんでした。
また、”あっ、そうか”と思ったのは、型菓子の記述(p178)でした。
ところで、江戸時代に奄美でどんな形の型菓子が作られていたのかは、現在のところわかっていません。『遠島録』ではもっともよく登場する菓子であるにもかかわらず、左源太さんも形や模様についてまったく記録していないのです。これはおそらく薩摩と同様のもの(花形など)えあったためではないかと想像されます。特に『南島雑話』は「奄美の」記録という意味で特徴的なもの、薩摩と違うものやことを重点的に見ていると思われますので、「倭と同じ」という型菓子は、スケッチする気にもならなかったのではないでしょうか。
「南島雑話」で単語として登場していても細かく説明していないものは、実は大和でもありふれていて特に記述しなかった、また特に登場しないモノについては、昔は無かった、という解釈もありますが、、あるいは、これもまたありふれたものだったという解釈もできるのかもしれません。
「南島雑話」のファンの方にも、奄美の食文化に興味がある方にも、お勧めできる、何度でも読める本だと思います。
2010年04月29日
「明治維新のカギは奄美の砂糖にあり」
最初に一言でこの本を評すると、タイトルは「明治維新のカギは奄美の田畑家にあり」としたほうがいいでしょう。
与論島クオリアさんが同書の書評を先に書いていたので、取り寄せるほどは無いけど気になってはいました。たまたま立ち寄った楠田書店(奄美市名瀬の書店)の店頭に並んでいたので手にとったのですが、やはり、といったところです。
帯に「琉球王朝末裔の著書が明かす 歴史から隠された薩摩藩の秘密」とあり、”琉球王朝末裔の著書”?と思ったのですが、読み始めると、与論島クオリアさんが指摘するように田畑家がいかに琉球王朝時代から明治維新まで続く一族であるかを書き綴っています。
「第一章 薩摩藩vs奄美大島」はほぼすべてが田畑家の祖である笠利家が薩摩軍を迎え撃つところから、笠利家の祖が琉球国から任命されて奄美に来ている(”任命書はひらがなで書かれていることを、日本に貴族している奄美を支配するのに、てこうされるのを避ける対策であったようだ”と書いてありますが、違います。琉球王朝での公用語として広くひらがなが使われていました。P35)から、田畑家の家紋から祖を源為朝とし(P38)、家系図(P41)では笠利家の祖を鎮西八郎為朝の子、舜天王としています。
しかし、琉球王国の舜天王が源為朝の子であるというのは、伝説であり、史実ではありません。
本書では伝説・伝承と史実が混在しているところが多く、他にも、西郷隆盛の島妻・愛加那が西郷が島を離れる時に「行きゅんにゃ加那」の”行きゅんにゃ加那/吾きゃ事忘れて/行きゅんにゃ加那/うち立ちゃ/うつちゃが行き苦しゃ"と唄ったと「愛加那記」より引用していますが、この歌詞の解釈は2人が別れの言葉をやりとりするというのが現在の解釈です。と、すると、西郷隆盛と愛加那が唄を交わしたのでしょうか。また、この唄をどうやって確認したんでしょう。引用が安易すぎます。
しかも与論島クオリアさんの書評でも指摘していますが、本書では「第四章 奄美の砂糖が明治維新をもたらした」のP135で次のように書いています。
この後、”第十八代田畑家当主の為善は・・・”と続くところを見ると、その”奄美には優れた為政者”である田畑家がいた、といいたいのでしょう。
薩摩藩の人間が奄美の人間とコミュニケーションをとることが不可能であったのなら、どうやって西郷隆盛と愛加那は唄を交わしたのでしょう。島妻をもらうことができたんでしょう。
もっと言えば、薩摩藩が奄美に侵攻した後、”敗軍の将である笠利為転とその一族が薩摩藩から受けた処遇は、一族の格式を重んじた満足できるものであった。”(P39)(笠利為転は田畑家の祖)にありますが、どうやってコミュニケーションとったんでしょう。
薩摩藩が明治維新の原動力となった財源を奄美の黒糖が支えたのは本書が繰り返し書いているとおりで、否定するものではありません。
しかし、本書では田畑家がいかに由緒正しい一族かということと、薩摩藩が使ったお金とその用途、それをささえたのが奄美の砂糖であると繰り返しでてくるだけです。
そういう意味で酷評ですが、本書のタイトルは「明治維新のカギは奄美の田畑家にあり」としたほうがいいのかなと思った次第です。
与論島クオリアさんが同書の書評を先に書いていたので、取り寄せるほどは無いけど気になってはいました。たまたま立ち寄った楠田書店(奄美市名瀬の書店)の店頭に並んでいたので手にとったのですが、やはり、といったところです。
帯に「琉球王朝末裔の著書が明かす 歴史から隠された薩摩藩の秘密」とあり、”琉球王朝末裔の著書”?と思ったのですが、読み始めると、与論島クオリアさんが指摘するように田畑家がいかに琉球王朝時代から明治維新まで続く一族であるかを書き綴っています。
「第一章 薩摩藩vs奄美大島」はほぼすべてが田畑家の祖である笠利家が薩摩軍を迎え撃つところから、笠利家の祖が琉球国から任命されて奄美に来ている(”任命書はひらがなで書かれていることを、日本に貴族している奄美を支配するのに、てこうされるのを避ける対策であったようだ”と書いてありますが、違います。琉球王朝での公用語として広くひらがなが使われていました。P35)から、田畑家の家紋から祖を源為朝とし(P38)、家系図(P41)では笠利家の祖を鎮西八郎為朝の子、舜天王としています。
しかし、琉球王国の舜天王が源為朝の子であるというのは、伝説であり、史実ではありません。
本書では伝説・伝承と史実が混在しているところが多く、他にも、西郷隆盛の島妻・愛加那が西郷が島を離れる時に「行きゅんにゃ加那」の”行きゅんにゃ加那/吾きゃ事忘れて/行きゅんにゃ加那/うち立ちゃ/うつちゃが行き苦しゃ"と唄ったと「愛加那記」より引用していますが、この歌詞の解釈は2人が別れの言葉をやりとりするというのが現在の解釈です。と、すると、西郷隆盛と愛加那が唄を交わしたのでしょうか。また、この唄をどうやって確認したんでしょう。引用が安易すぎます。
しかも与論島クオリアさんの書評でも指摘していますが、本書では「第四章 奄美の砂糖が明治維新をもたらした」のP135で次のように書いています。
例えば、奄美では「みしょれ」といえば「食べてください」という意味であるが、これは「召し上がれ」がなまったものである。(太字は本ブログでつけました)
(中略)
このように奄美方言は薩摩方言とはまったく異なっているから、薩摩藩の人間が奄美の人間とコミュニケーションをとることが不可能であった。すなわち薩摩藩による直接支配が困難なのである。さらに、薩摩藩の侵攻時、すでに奄美には優れた為政者がいた。薩摩藩はこの為政者に奄美の支配を委託した。
この後、”第十八代田畑家当主の為善は・・・”と続くところを見ると、その”奄美には優れた為政者”である田畑家がいた、といいたいのでしょう。
薩摩藩の人間が奄美の人間とコミュニケーションをとることが不可能であったのなら、どうやって西郷隆盛と愛加那は唄を交わしたのでしょう。島妻をもらうことができたんでしょう。
もっと言えば、薩摩藩が奄美に侵攻した後、”敗軍の将である笠利為転とその一族が薩摩藩から受けた処遇は、一族の格式を重んじた満足できるものであった。”(P39)(笠利為転は田畑家の祖)にありますが、どうやってコミュニケーションとったんでしょう。
薩摩藩が明治維新の原動力となった財源を奄美の黒糖が支えたのは本書が繰り返し書いているとおりで、否定するものではありません。
しかし、本書では田畑家がいかに由緒正しい一族かということと、薩摩藩が使ったお金とその用途、それをささえたのが奄美の砂糖であると繰り返しでてくるだけです。
そういう意味で酷評ですが、本書のタイトルは「明治維新のカギは奄美の田畑家にあり」としたほうがいいのかなと思った次第です。
2010年04月05日
「掘り出された奄美諸島」
奄美文庫8「掘り出された奄美諸島」
著者:中山清美 発行:財団法人 奄美文化財団 平成21年6月
価格:1,300円
日本の歴史の中で奄美群島は文献の中で7世紀に一部表記されている他は琉球王国の登場、そして薩摩藩侵攻まで空白の時代となっています。
実際には本書によると明治から昭和初期に貝塚などの調査が行われていますが、1955年の九学連の調査まで空白となっていました。
しかし、最新のところでは喜界島の城(ぐすく)遺跡など、7世紀から10世紀にかけての遺跡が発掘され、それ以前の土器・縄文時代の遺跡なども多数発掘されていますが、本書のような形でまとめられた本は始めてではないでしょうか。それも1300円と手頃な値段です。
著者の中山清美さんは笠利町歴史民俗博物館時代から発掘にたずさわり、現在は奄美博物館の館長さんです。
本書は大きく分けて前半にこれまでの遺跡でわかってきた奄美諸島の考古学、各時代の奄美諸島としてして旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・中世までの遺跡や土器などの解説、そして中世の遺跡とグスクについてを解説しています。
後半には主な遺跡として14箇所の遺跡が紹介しています。
各章には参考書籍の一覧がありますので、これから奄美の考古学や歴史を勉強したいという方にはすごくいい入門書だと思います。
一般の書籍の流通では入手できません。楠田書店もしくはあまみ庵でお求め下さい。
著者:中山清美 発行:財団法人 奄美文化財団 平成21年6月
価格:1,300円
日本の歴史の中で奄美群島は文献の中で7世紀に一部表記されている他は琉球王国の登場、そして薩摩藩侵攻まで空白の時代となっています。
実際には本書によると明治から昭和初期に貝塚などの調査が行われていますが、1955年の九学連の調査まで空白となっていました。
しかし、最新のところでは喜界島の城(ぐすく)遺跡など、7世紀から10世紀にかけての遺跡が発掘され、それ以前の土器・縄文時代の遺跡なども多数発掘されていますが、本書のような形でまとめられた本は始めてではないでしょうか。それも1300円と手頃な値段です。
著者の中山清美さんは笠利町歴史民俗博物館時代から発掘にたずさわり、現在は奄美博物館の館長さんです。
本書は大きく分けて前半にこれまでの遺跡でわかってきた奄美諸島の考古学、各時代の奄美諸島としてして旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・中世までの遺跡や土器などの解説、そして中世の遺跡とグスクについてを解説しています。
後半には主な遺跡として14箇所の遺跡が紹介しています。
各章には参考書籍の一覧がありますので、これから奄美の考古学や歴史を勉強したいという方にはすごくいい入門書だと思います。
一般の書籍の流通では入手できません。楠田書店もしくはあまみ庵でお求め下さい。
2010年03月04日
「江戸立探検隊」名瀬フォーラム
TwitterのTLに”奄美図書館で講演会・・・”とあるので、今日なんかあったっけと検索してみると、琉球大学開学60周年記念事業としてフォーラムが15:00から始まることを知り、慌てて行ってきました。
ポスターはこちら。
なんで慌ててまで行ったかと言うと、弓削正己さんと町健次郎さんの講演があるからです。
会場へ行くと10分前。すでに席はかなり埋まってましたが、知り合いがいたので同席させてもらいました。
全座席にしっかりしたパンフレット。

5箇所で行われるフォーラムの全レジメが1冊にまとまってます。全78ページのボリュームです。
講演に先立ち、進行役の琉球大学教授、高良倉吉さんがお話をされたのですが、以前ご紹介した「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」に触れ、その中の戦後の沖縄と奄美の関係を紹介したのが、ネットでは沖縄を陥れるヒドイ本だというような書評を見ていたので、ちょっと驚きでした。
さて講演はというと期待に反しない勉強になる内容でした。
まず、弓削さんは「江戸立コースの前提としての薩摩藩の奄美諸島分割支配と道の島の役割」。
「江戸立」とは薩摩の琉球・奄美侵攻後に、琉球が江戸へ登り、徳川家へ挨拶にいく旅のことを指すのですが、弓削さんがお話されたのは薩摩が琉球・奄美に侵攻した時に薩摩と琉球はどのように支配の区分を行ったかということと、この江戸立のルートとなる「道の島」の解釈についての2点でした。
薩摩の琉球・奄美侵攻というと薩摩側からの視点が多い中、弓削さんが指摘したのは琉球国保全のために、琉球古来の領土という意識から伊平屋島以南以外、与論島以北の奄美群島を薩摩に割いたということです。
古来ということは琉球国の成り立ちとして、奄美群島がどのように組み入れられたのかという事にも関係してくるのでしょう。弓削さんは言及しませんでしたが資料に薩摩侵攻以前の琉球と奄美の史実を掲載してあります。
そして、「道の島」という解釈について、これまで薩摩が琉球・奄美へ侵攻するための「道の島」というマイナスのイメージがありましたが、弓削さんは1632年の資料の記述にある「琉球道の島」という表記を挙げ、”通商の便を取る(くつろぐ)、よろどころとしての避難港、日本と中国との通り道という意識。これは薩摩藩の直轄支配のみでは出てこない概念、交易上の概念から来ている”と指摘し、さらにペリーの認識や薩摩支配下においても奄美の人々が制限があるにせよ薩摩や琉球へ行き来していたこと指摘します。
弓削さんは今回の講演だけでなく、これまで”薩摩の圧政によって奄美がこんな悲惨な目にあった”と言われてきた話に新説を出してきています。
例えば奄美の一字姓。薩摩が奄美の人々と薩摩の役人を区別するための制度と言われていましたが、「奄美学 その地平と彼方」(南方新社、2005年)の”奄美の一字名字と郷士格について-その歴史的背景”で、”東アジアを律する国際環境で、中国が一字名字であることともに、冊封体制の中国への公文の名字が一字ということによると考えられる。”と解説しています。
また、今年2月12日付の南海日日新聞の”シマジマの海路-2-商社取引が出発点”の中で、薩摩藩から鹿児島県となっても砂糖を専売しようと設立された大島商社の問題も、鹿児島県の特別な運動ではなく、”旧慣同様な専売制志向の県およびそれと結びついた商人らと百性との対立は、内容に違いがあるにしても、奄美諸島だけの運動ではなかった。”と解説しています。
確かに、薩摩藩支配時代とその後も奄美というのは搾取されたり虐げられたりしましたが、それだけを見るのではなくて、その時代の日本と世界の動きまでも見ないと本当のことはわからない、単に被害者意識だけが強調されてしまうんだなと考えされらました。
町健次郎さんは”「奄美」呼称の来歴とその周辺”。
実はこのテーマ、昨年から個人的にアレ?と思って調べていたことですが、町さんは単に地図にいつから奄美が表記されてきたのか、だけではなくて、同時に文献の中にいつから表記され、それがどんな時代背景によるものなのかという内容でした。
実際に”奄美”という地名が地図上に現れるのは明治7年の海軍の地図で、民間用の地図では明治32年に現れるの最初です。
ではそれまではどのように言われていたかというと、あっても北部琉球といった大雑把な名前だけであり、現在の奄美大島は大島です。
しかし、町さんが指摘したように国防上の問題から全国に大島がたくさんあっては困るので”奄美”をつけたようです。
では”奄美”はどこから持ってきたのでしょうか。
これは明治時代というのは天皇制の復活であり、それまでの徳川幕府を否定するものです。ですから、明治に入って天皇制の時代の名称が多くの地名に使われたようです。
ちなみに都道府県名の由来を検索してみて下さい。
そして”奄美”にちなみ開闢神話の由来、日奄琉同祖論から日奄同祖論への転換なども興味深い内容でした。
いやー、間に合ってよかった。
弓削さんの一字姓の話ってどこに納められてたか探して、あらためて調べながらまとめていたら、記事をアップするのが遅くなりました。
ポスターはこちら。
なんで慌ててまで行ったかと言うと、弓削正己さんと町健次郎さんの講演があるからです。
会場へ行くと10分前。すでに席はかなり埋まってましたが、知り合いがいたので同席させてもらいました。
全座席にしっかりしたパンフレット。

5箇所で行われるフォーラムの全レジメが1冊にまとまってます。全78ページのボリュームです。
講演に先立ち、進行役の琉球大学教授、高良倉吉さんがお話をされたのですが、以前ご紹介した「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」に触れ、その中の戦後の沖縄と奄美の関係を紹介したのが、ネットでは沖縄を陥れるヒドイ本だというような書評を見ていたので、ちょっと驚きでした。
さて講演はというと期待に反しない勉強になる内容でした。
まず、弓削さんは「江戸立コースの前提としての薩摩藩の奄美諸島分割支配と道の島の役割」。
「江戸立」とは薩摩の琉球・奄美侵攻後に、琉球が江戸へ登り、徳川家へ挨拶にいく旅のことを指すのですが、弓削さんがお話されたのは薩摩が琉球・奄美に侵攻した時に薩摩と琉球はどのように支配の区分を行ったかということと、この江戸立のルートとなる「道の島」の解釈についての2点でした。
薩摩の琉球・奄美侵攻というと薩摩側からの視点が多い中、弓削さんが指摘したのは琉球国保全のために、琉球古来の領土という意識から伊平屋島以南以外、与論島以北の奄美群島を薩摩に割いたということです。
古来ということは琉球国の成り立ちとして、奄美群島がどのように組み入れられたのかという事にも関係してくるのでしょう。弓削さんは言及しませんでしたが資料に薩摩侵攻以前の琉球と奄美の史実を掲載してあります。
そして、「道の島」という解釈について、これまで薩摩が琉球・奄美へ侵攻するための「道の島」というマイナスのイメージがありましたが、弓削さんは1632年の資料の記述にある「琉球道の島」という表記を挙げ、”通商の便を取る(くつろぐ)、よろどころとしての避難港、日本と中国との通り道という意識。これは薩摩藩の直轄支配のみでは出てこない概念、交易上の概念から来ている”と指摘し、さらにペリーの認識や薩摩支配下においても奄美の人々が制限があるにせよ薩摩や琉球へ行き来していたこと指摘します。
弓削さんは今回の講演だけでなく、これまで”薩摩の圧政によって奄美がこんな悲惨な目にあった”と言われてきた話に新説を出してきています。
例えば奄美の一字姓。薩摩が奄美の人々と薩摩の役人を区別するための制度と言われていましたが、「奄美学 その地平と彼方」(南方新社、2005年)の”奄美の一字名字と郷士格について-その歴史的背景”で、”東アジアを律する国際環境で、中国が一字名字であることともに、冊封体制の中国への公文の名字が一字ということによると考えられる。”と解説しています。
また、今年2月12日付の南海日日新聞の”シマジマの海路-2-商社取引が出発点”の中で、薩摩藩から鹿児島県となっても砂糖を専売しようと設立された大島商社の問題も、鹿児島県の特別な運動ではなく、”旧慣同様な専売制志向の県およびそれと結びついた商人らと百性との対立は、内容に違いがあるにしても、奄美諸島だけの運動ではなかった。”と解説しています。
確かに、薩摩藩支配時代とその後も奄美というのは搾取されたり虐げられたりしましたが、それだけを見るのではなくて、その時代の日本と世界の動きまでも見ないと本当のことはわからない、単に被害者意識だけが強調されてしまうんだなと考えされらました。
町健次郎さんは”「奄美」呼称の来歴とその周辺”。
実はこのテーマ、昨年から個人的にアレ?と思って調べていたことですが、町さんは単に地図にいつから奄美が表記されてきたのか、だけではなくて、同時に文献の中にいつから表記され、それがどんな時代背景によるものなのかという内容でした。
実際に”奄美”という地名が地図上に現れるのは明治7年の海軍の地図で、民間用の地図では明治32年に現れるの最初です。
ではそれまではどのように言われていたかというと、あっても北部琉球といった大雑把な名前だけであり、現在の奄美大島は大島です。
しかし、町さんが指摘したように国防上の問題から全国に大島がたくさんあっては困るので”奄美”をつけたようです。
では”奄美”はどこから持ってきたのでしょうか。
これは明治時代というのは天皇制の復活であり、それまでの徳川幕府を否定するものです。ですから、明治に入って天皇制の時代の名称が多くの地名に使われたようです。
ちなみに都道府県名の由来を検索してみて下さい。
そして”奄美”にちなみ開闢神話の由来、日奄琉同祖論から日奄同祖論への転換なども興味深い内容でした。
いやー、間に合ってよかった。
弓削さんの一字姓の話ってどこに納められてたか探して、あらためて調べながらまとめていたら、記事をアップするのが遅くなりました。
2010年03月03日
「太宰府と南島」講演会
2月21日に行われた九州国立博物館企画展に伴なう”講演会「古代日本と奄美世界」”に続き、3月7日にも講演会が行われます。
前回も面白かったのですが、今回もなんとか時間を作って行きたいです。
前回も座席が空いてるかなと思ったら時間になると満席となりました。
なるべく早めにお越しになったほうがいいと思います。
- 期日
- 3月7日(日曜日)
- 場所
- 奄美博物館・企画展示室(3階)
- 時間
- 14:00~16:30
- 講演
- 「遣唐使の対外交流と南島」
赤司善彦 先生(九州国立博物館展示課長) - 体験講座
- 「遣唐使が運んだもの」
池内一誠 先生(九州国立博物館交流課主任研究員) - 備考
- 入場無料
前回も面白かったのですが、今回もなんとか時間を作って行きたいです。
前回も座席が空いてるかなと思ったら時間になると満席となりました。
なるべく早めにお越しになったほうがいいと思います。
2010年02月23日
講演会「古代日本と奄美世界」
先日お知らせした講演会になんとか行くことができました。
行ってよかった~という内容でした。
講師の池田先生は以前から知っている方で、「かずみ」でよくお会いして色々質問させてもらってました。
今回の講演は池田先生が考古学をはじめてから約25年の中間報告のような内容で、太宰府の木簡が発掘された昭和59年からここ25年ほどで変わりつつある日本の古代史のお話でした。
昨年末にまとめた本が出ているのですが、何せ高い!8400円です。
すぐには買えないし、まずは図書館で借りてから。ということでなんとかがんばってメモをとりました。
いまだに場所が特定されていない邪馬台国ですが、何故、邪馬台国の存在がわかるかというと中国の記録に3世紀はじめに邪馬台国から文書があったそうです。
これを皮切りに14世紀に行われる日宗貿易まで、朝鮮半島と中国を含めた東アジアの情勢によって日本も大きな影響を受けます。
その中で、太宰府から発掘された木簡は8世紀頃のものと見られ、単に南方の産物が太宰府に届いたというよりも、木簡に地名を書くような、きちんとした交易システムが奄美から太宰府にあったようです。
この7世紀から14世紀には奄美に関わることが多くあります。
遣唐使の北路(朝鮮半島経由)から南路への切り替えが660年の百済の滅亡によって起こり、屋久島・奄美を経由したルートとなります。
笠利町や奄美市名瀬小湊の遺跡から発掘されたヤコウガイは平安時代(9世紀~12世紀)の貴族の嗜好品であっただろうと考えられています。(宇津保物語)
徳之島で発見されたカムィヤキは12世紀~13世紀と言われていますが、その技術は高麗(朝鮮半島の新羅の後の国)ではないかと考えられています。
さらに、宗の前の唐の時代の「開元通宝」が奄美で多く発掘されています。
さらにその間に力をつけた琉球(沖縄本島)が日宗貿易の中心となっていきます。
喜界島の城久遺跡はまさにその切り替わりの時期の遺跡なのかもしれません。
これらのことから日本の古代史は”日本一国の研究から東アジア研究への転換、東アジア海域史の提唱”が行われているということでした。
Wikipediaの日本の歴史でも簡単に古墳・飛鳥・奈良・平安時代と朝鮮半島との関わりが触れられているだけですが、このあたりがこれから変わっていくのかも知れません。
なおWikipediaでは奄美諸島の歴史としてまとめられていますが、断片的な情報だけのようですね。
行ってよかった~という内容でした。
講師の池田先生は以前から知っている方で、「かずみ」でよくお会いして色々質問させてもらってました。
今回の講演は池田先生が考古学をはじめてから約25年の中間報告のような内容で、太宰府の木簡が発掘された昭和59年からここ25年ほどで変わりつつある日本の古代史のお話でした。
昨年末にまとめた本が出ているのですが、何せ高い!8400円です。
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すぐには買えないし、まずは図書館で借りてから。ということでなんとかがんばってメモをとりました。
いまだに場所が特定されていない邪馬台国ですが、何故、邪馬台国の存在がわかるかというと中国の記録に3世紀はじめに邪馬台国から文書があったそうです。
これを皮切りに14世紀に行われる日宗貿易まで、朝鮮半島と中国を含めた東アジアの情勢によって日本も大きな影響を受けます。
その中で、太宰府から発掘された木簡は8世紀頃のものと見られ、単に南方の産物が太宰府に届いたというよりも、木簡に地名を書くような、きちんとした交易システムが奄美から太宰府にあったようです。
この7世紀から14世紀には奄美に関わることが多くあります。
遣唐使の北路(朝鮮半島経由)から南路への切り替えが660年の百済の滅亡によって起こり、屋久島・奄美を経由したルートとなります。
笠利町や奄美市名瀬小湊の遺跡から発掘されたヤコウガイは平安時代(9世紀~12世紀)の貴族の嗜好品であっただろうと考えられています。(宇津保物語)
徳之島で発見されたカムィヤキは12世紀~13世紀と言われていますが、その技術は高麗(朝鮮半島の新羅の後の国)ではないかと考えられています。
さらに、宗の前の唐の時代の「開元通宝」が奄美で多く発掘されています。
さらにその間に力をつけた琉球(沖縄本島)が日宗貿易の中心となっていきます。
喜界島の城久遺跡はまさにその切り替わりの時期の遺跡なのかもしれません。
これらのことから日本の古代史は”日本一国の研究から東アジア研究への転換、東アジア海域史の提唱”が行われているということでした。
Wikipediaの日本の歴史でも簡単に古墳・飛鳥・奈良・平安時代と朝鮮半島との関わりが触れられているだけですが、このあたりがこれから変わっていくのかも知れません。
なおWikipediaでは奄美諸島の歴史としてまとめられていますが、断片的な情報だけのようですね。
タグ :古代史
2010年02月19日
九州国立博物館企画展「太宰府と南島」
奄美市立奄美博物館では九州国立博物館企画展「太宰府と南島」を開催しています。
奄美群島では初公開という太宰府史跡出土の「☆美島」(☆は木ヘンに奄)「伊籃島」木簡が展示されています。
この展示会に関連して琉球大学法文学部教授の池田榮史先生(考古学)の講演会が行われます。
木簡の歴史的背景について、太宰府との関係も指摘される喜界島の城久遺跡群などの最新の考古学的背景をふまえてお話いただけるそうです。
「古代日本と奄美世界」
入場無料ですよ。
奄美群島では初公開という太宰府史跡出土の「☆美島」(☆は木ヘンに奄)「伊籃島」木簡が展示されています。
この展示会に関連して琉球大学法文学部教授の池田榮史先生(考古学)の講演会が行われます。
木簡の歴史的背景について、太宰府との関係も指摘される喜界島の城久遺跡群などの最新の考古学的背景をふまえてお話いただけるそうです。
「古代日本と奄美世界」
- とき
- 2月21日(日曜日)
- ところ
- 奄美市立奄美博物館・研修室(3階)
- じかん
- 14:00~16:00
入場無料ですよ。
2010年02月16日
沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史
”奄美学といいながら、なんで?”と思われるかもしれませんが、戦後、奄美と共にアメリカ統治下となった沖縄の知られなかった歴史なのです。

共にアメリカ統治下で苦しい暮らしで、奄美は基地が出来なかったから早く日本に返してもらった。
一方、沖縄はその後も日本に返してもらえず、いまでも日本の犠牲になっている。
というのが戦後のイメージですが、戦後すぐの沖縄でおこっていたことを、この本で初めてしりました。
5章からなっていますが、その中の「2 沖縄のアンダーグラウンド」(2はローマ数字)を筆者の”はじめに”から紹介します。(カッコ書きは私がつけました)
これは「空白の琉球弧-奄美群島」と「伝説の義賊・清真島」に書かれています。
「空白の琉球弧-奄美群島」には戦後、基地建設に湧く沖縄へ疲弊した奄美から移り住んで行く人々が多くいたこと、そして奄美群島が日本復帰すると在沖奄美人としてアメリカ統治領の中の外国人”日本人”として扱われ、公職追放など、差別を受けたこと。
両親が育った時代、祖父母が同じ時代に生きていたはずなのに、知らないことばかりです。
お勧めするというか、沖縄・奄美の近代の歴史として知っておくべきことだと思います。

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共にアメリカ統治下で苦しい暮らしで、奄美は基地が出来なかったから早く日本に返してもらった。
一方、沖縄はその後も日本に返してもらえず、いまでも日本の犠牲になっている。
というのが戦後のイメージですが、戦後すぐの沖縄でおこっていたことを、この本で初めてしりました。
5章からなっていますが、その中の「2 沖縄のアンダーグラウンド」(2はローマ数字)を筆者の”はじめに”から紹介します。(カッコ書きは私がつけました)
これまでほとんど知られていなかった(沖縄における)奄美大島の差別の歴史と、そこからたくましく起ちあがった男が惚れる奄美のヤクザについて筆を割いた。
これは「空白の琉球弧-奄美群島」と「伝説の義賊・清真島」に書かれています。
「空白の琉球弧-奄美群島」には戦後、基地建設に湧く沖縄へ疲弊した奄美から移り住んで行く人々が多くいたこと、そして奄美群島が日本復帰すると在沖奄美人としてアメリカ統治領の中の外国人”日本人”として扱われ、公職追放など、差別を受けたこと。
両親が育った時代、祖父母が同じ時代に生きていたはずなのに、知らないことばかりです。
お勧めするというか、沖縄・奄美の近代の歴史として知っておくべきことだと思います。
2010年01月27日
奄美の森に生きた人
「奄美の森に生きた人 柳田国男が訪ねた 峠の主人・畠中三太郎」
前橋松造・著 南方新社・発行 2001年4月20日

(上記画像は発行元の南方新社にリンクしています。リンク先より入手可能です。)
「三太郎峠古道整備」、「住用町東仲間のシマ興し」と三太郎峠の古道をご紹介しましたが、「あまみ再発見ツアー」の古道歩きとしてご案内するにはもう一度勉強しなきゃということで、本書を読みなおしました。
この本は発行されてすぐに三太郎峠についての本は始めてだと思い、すぐに購入したのですが、紛失していました。誰かに貸してしまったんでしょう。
しょうがありません。授業代です。
著者は鹿児島の川辺の出身で、南日本新聞社の大島支社長として奄美大島に赴任したこともあり、赴任中にも三太郎茶屋に関しては気にかけていたそうです。
ところが、ご両親の仏壇の位牌から、ご両親は名瀬の永田橋近くで雑貨屋を営んでいたことがあって、三太郎茶屋のご主人、畠中三太郎との交流を知ることから本書ははじまります。不思議な縁です。
シマの人であればハブやイノシシの被害を恐れるような山の中を開墾し、お茶やみかんを作り、地元の集落の人々にも農業を教えた人、畠中三太郎の生涯を丹念に取材しています。
単に茶屋を開いた、シマの人たちの慕われて、山で生涯を終えた、というだけでなく、明治初頭から大正・昭和にかけてのシマの人の暮らしぶりも垣間見えます。
また、柳田国男が「海南小記」に三太郎茶屋のことを書き記していますが、筆者はそれだけにとどまらずに、「海南小記」の取材メモを手に入れて、当時の柳田国男の足跡を辿っています。
この取材メモは本書に書かれているように昭和50年に南島研究会から百四十部限定で発行された「南島旅行見聞記」ですが、昨年末には当時の発行者である酒井卯作さんの編集で「南島旅行見聞記
」として書籍が発行されました。
機会があればご紹介したいと思います。
前橋松造・著 南方新社・発行 2001年4月20日

(上記画像は発行元の南方新社にリンクしています。リンク先より入手可能です。)
「三太郎峠古道整備」、「住用町東仲間のシマ興し」と三太郎峠の古道をご紹介しましたが、「あまみ再発見ツアー」の古道歩きとしてご案内するにはもう一度勉強しなきゃということで、本書を読みなおしました。
この本は発行されてすぐに三太郎峠についての本は始めてだと思い、すぐに購入したのですが、紛失していました。誰かに貸してしまったんでしょう。
しょうがありません。授業代です。
著者は鹿児島の川辺の出身で、南日本新聞社の大島支社長として奄美大島に赴任したこともあり、赴任中にも三太郎茶屋に関しては気にかけていたそうです。
ところが、ご両親の仏壇の位牌から、ご両親は名瀬の永田橋近くで雑貨屋を営んでいたことがあって、三太郎茶屋のご主人、畠中三太郎との交流を知ることから本書ははじまります。不思議な縁です。
シマの人であればハブやイノシシの被害を恐れるような山の中を開墾し、お茶やみかんを作り、地元の集落の人々にも農業を教えた人、畠中三太郎の生涯を丹念に取材しています。
単に茶屋を開いた、シマの人たちの慕われて、山で生涯を終えた、というだけでなく、明治初頭から大正・昭和にかけてのシマの人の暮らしぶりも垣間見えます。
また、柳田国男が「海南小記」に三太郎茶屋のことを書き記していますが、筆者はそれだけにとどまらずに、「海南小記」の取材メモを手に入れて、当時の柳田国男の足跡を辿っています。
この取材メモは本書に書かれているように昭和50年に南島研究会から百四十部限定で発行された「南島旅行見聞記」ですが、昨年末には当時の発行者である酒井卯作さんの編集で「南島旅行見聞記
機会があればご紹介したいと思います。
2010年01月25日
「しまうた」流れ 琉球弧の民謡入門

「しまうた」流れ 琉球弧の民謡入門
仲宗根幸市・著
ボーダーインク・発行 1995年8月15日
上記画像・リンクは出版元のボーダーインクにリンクしています。
奄美のシマ唄とは?といっても頭で理解するよりは、まずは聞いてもらったほうがいいと思います。
それもできれば舞台での唄ではなく、唄者と会話しながら唄に対する思いなどを聞きながら。
しかし、そうはいっても裏声を使う、独特の三味線奏法、唄の歌詞など知りたいと思うと、意外と入手可能な本は少ないのが現状です。
さらに、奄美のシマ唄が沖縄の唄、大和の民謡とどう違うのかを知る本となるとさらに少なく、本書が一番のお勧めです。
残念ながら入手は難しくなっていて、上記の出版元のサイトで購入(これも難しいかもしれません)するか古本を探すことになると思います。
本書ではまず最初に”琉球弧”としての唄の特徴を解説、その上で各島々の唄を解説しています。
次には裏声音楽文化としいて奄美以外の地域での裏声、そして奄美の裏声を説明しています。
唄の分類や奄美の唄掛け、沖縄のモーアシビとして生活の中に生きる唄の説明があり、最後に黒潮に乗って分布したカチャーシーや六調などについても解説しています。
一番、わかりやすいのは目次の次のページにある分布図でしょう。
奄美群島が以下に琉球文化と大和文化の混じり合う場所かが一目瞭然です。
奄美のシマ唄に興味が無くとも、沖縄の音楽や琉球・シマの文化・歴史に興味がある方は一読をお勧めします。
2010年01月18日
講演会「奄美と琉球-その魅力」
沖縄大学の沖縄大学地域研究所が主催で「沖縄大学移動市民大学in奄美大島 「奄美と琉球-その魅力」が奄美市名瀬の県立奄美図書館と瀬戸内町で行われます。
共に参加費無料です。
(以上、県立奄美図書館からのチラシより)
カレンダーにもTBしています。マップには今後もありえるので、TBせずにGoogleMapへのリンクを入れておきました。
このブログでは書籍の紹介を中心にと思っていましたが、関連する講演会なども掲載していきます。
主催の沖縄大学地域研究所および後援の県立奄美図書館のホームページには掲載されていなかったのでチラシの内容を転載しました。
掲載内容については本ブログに責任があります。誤りなどについて主催・後援にはご連絡無いようにお願いします。
間違いなど気づいた点がありましたら、コメントにてお願いします。
共に参加費無料です。
- 2010年1月30日(土)
13:00~16:00 開場 12:30
- 県立奄美図書館(GoogleMapにリンクしてます。残念ながら県立奄美図書館はまだ検索対象ではなくて奄美分館が表示されてしまうので奄美高校をリンクしています。)
第一部 13:00~14:00
奄美高校生による学習や研究、地域活動等の発表
第二部 14:10~16:00
島尾伸三氏による講演「奄美と琉球-その魅力」
- 2010年1月31日(日)
15:00~1700 開場 14:30
- 瀬戸内町中央公民館(GoogleMapにリンクしてます。)
島尾伸三氏による講演「奄美と琉球-その魅力」
- 島尾伸三氏
- 1948年生まれ
東京造形大学造形学部写真専攻科卒業
1981年ごろより中国や香港の庶民生活を精力的に撮り始める。
著書「中華人民生活百科遊覧」「季節風」「生活」
- 移動市民大学
- 沖縄大学は「地域共創の大学」として、地域と協働のまちづくり・地域と共に持続可能な社会をつくることを念頭に、県内で様々な講演・シンポジウムを開催しています。
地域住民の方が移動市民大学に参加したことをきっかけに、地元社会・まちづくりに興味をもっていただけるように、今後も離島を含めた各地域で移動市民大学を開催していきます。
(以上、県立奄美図書館からのチラシより)
カレンダーにもTBしています。マップには今後もありえるので、TBせずにGoogleMapへのリンクを入れておきました。
このブログでは書籍の紹介を中心にと思っていましたが、関連する講演会なども掲載していきます。
主催の沖縄大学地域研究所および後援の県立奄美図書館のホームページには掲載されていなかったのでチラシの内容を転載しました。
掲載内容については本ブログに責任があります。誤りなどについて主催・後援にはご連絡無いようにお願いします。
間違いなど気づいた点がありましたら、コメントにてお願いします。
2010年01月14日
瀬戸内町の文化財をたずねて
「瀬戸内町の文化財をたずねて(改訂版)」
瀬戸内町立図書館・郷土館 編
瀬戸内町教育委員会 発行
平成13年11月
問い合わせてみたところ、この冊子も絶版。入手不可ということでした。
県立奄美図書館などで閲覧可能だそうです。
A5(A4の半分)の小さな冊子ですが、小さな「瀬戸内町誌」といっていいぐらいの内容です。
瀬戸内町の歴史(町村合併の推移)や生物・植物、文化財、行事、祭りの紹介、伝説や人物などまで紹介されています。
改訂版を検討しているそうですが、発行は未定とのこと。
是非復刻もしくは改訂版を出して欲しい本です。
瀬戸内町立図書館・郷土館 編
瀬戸内町教育委員会 発行
平成13年11月
問い合わせてみたところ、この冊子も絶版。入手不可ということでした。
県立奄美図書館などで閲覧可能だそうです。
A5(A4の半分)の小さな冊子ですが、小さな「瀬戸内町誌」といっていいぐらいの内容です。
瀬戸内町の歴史(町村合併の推移)や生物・植物、文化財、行事、祭りの紹介、伝説や人物などまで紹介されています。
改訂版を検討しているそうですが、発行は未定とのこと。
是非復刻もしくは改訂版を出して欲しい本です。
2010年01月13日
故郷(ふるさと)は博物館
「故郷(ふるさと)は博物館-家族で訪ねる笠利町の文化財-」
笠利町歴史民俗資料館・編
笠利町教育委員会・発行
2003年2月
市町村合併前の笠利町で発行され、現在はほとんど部数が残っていないそうです。
あやまる岬近くの笠利町歴史民俗資料館で閲覧可能ということでした。(奄美博物館への問い合わせ結果)
A4サイズのしっかりした本です。
概要として奄美大島の旧石器時代から奈良・平安時代の様子。あわせて、調査に関わった関係で宇検村の倉木崎海底遺跡調査も少し触れられています。
笠利町内の文化財を中心に「史跡」「民俗」「自然」「名勝」と分けて紹介しています。
各解説には英文の紹介も掲載されています。
是非、復刻させてほしい本の一つです。
小中学校の歴史副読本としていいと思うのですが。
笠利町歴史民俗資料館・編
笠利町教育委員会・発行
2003年2月
市町村合併前の笠利町で発行され、現在はほとんど部数が残っていないそうです。
あやまる岬近くの笠利町歴史民俗資料館で閲覧可能ということでした。(奄美博物館への問い合わせ結果)
A4サイズのしっかりした本です。
概要として奄美大島の旧石器時代から奈良・平安時代の様子。あわせて、調査に関わった関係で宇検村の倉木崎海底遺跡調査も少し触れられています。
笠利町内の文化財を中心に「史跡」「民俗」「自然」「名勝」と分けて紹介しています。
各解説には英文の紹介も掲載されています。
是非、復刻させてほしい本の一つです。
小中学校の歴史副読本としていいと思うのですが。
2010年01月09日
鹿児島の伝統製法食品
「かごしま文庫67 鹿児島の伝統製法食品」
蟹江松雄・藤本滋生・水本弘二・著 春苑堂出版・発行
2001年3月10日 発行
「奄美民俗雑話」に続いて、かごしま文庫ですが、これもそろそろ手に入りくくなっているかも知れません。
ガイドの仕事でお客さんからの質問で答えに困ることが多々あるのですが、特に食に関しては、説明が完全にできない部分が多いですね。
何故かというと、時代によって変化してきていて、記録があまり残っていないのです。
聞いてまわると単に”昔から”となるのですが、”昔って具体的にいつから?”となるとモゴモゴ・・・
少しづつ聞いて回っているのですが、粒味噌もその一つ。
「あまみ便りblog」に「粒味噌の由来」という記事で書きましたが、地元の味噌メーカーの方にお話を聞きに行った時に紹介していただいたのがこの本です。
かごしま文庫は奄美に関しても、いい本が多数あるので注意していたつもりでしたが、タイトルの「鹿児島」という部分だけで、奄美は関係ないんだろうなと見過ごしていました。
しかし、考えてみると奄美の食に関して、特に北部の料理は鶏飯をはじめ、鹿児島の影響が見受けられるものもありますし、自家製以外はほとんどが鹿児島から入ってくるわけですから、無関係のはずがないんですよね。
本書の中には味噌・醤油・酢などの調味料、酒・焼酎、奄美に関連してはナリ味噌・ミキ・黒糖なども掲載されています。
どうして粒味噌なのか、ナリ味噌との関係は?とか、どうして醤油は甘いのかなど、興味深いテーマばかりで、気になるページの端っこを折っていたら、折り目だらけになりました。
奄美の郷土料理に関わる方は一読しておいたほうがいいと思います。
蟹江松雄・藤本滋生・水本弘二・著 春苑堂出版・発行
2001年3月10日 発行
「奄美民俗雑話」に続いて、かごしま文庫ですが、これもそろそろ手に入りくくなっているかも知れません。
ガイドの仕事でお客さんからの質問で答えに困ることが多々あるのですが、特に食に関しては、説明が完全にできない部分が多いですね。
何故かというと、時代によって変化してきていて、記録があまり残っていないのです。
聞いてまわると単に”昔から”となるのですが、”昔って具体的にいつから?”となるとモゴモゴ・・・
少しづつ聞いて回っているのですが、粒味噌もその一つ。
「あまみ便りblog」に「粒味噌の由来」という記事で書きましたが、地元の味噌メーカーの方にお話を聞きに行った時に紹介していただいたのがこの本です。
かごしま文庫は奄美に関しても、いい本が多数あるので注意していたつもりでしたが、タイトルの「鹿児島」という部分だけで、奄美は関係ないんだろうなと見過ごしていました。
しかし、考えてみると奄美の食に関して、特に北部の料理は鶏飯をはじめ、鹿児島の影響が見受けられるものもありますし、自家製以外はほとんどが鹿児島から入ってくるわけですから、無関係のはずがないんですよね。
本書の中には味噌・醤油・酢などの調味料、酒・焼酎、奄美に関連してはナリ味噌・ミキ・黒糖なども掲載されています。
どうして粒味噌なのか、ナリ味噌との関係は?とか、どうして醤油は甘いのかなど、興味深いテーマばかりで、気になるページの端っこを折っていたら、折り目だらけになりました。
奄美の郷土料理に関わる方は一読しておいたほうがいいと思います。
2010年01月03日
奄美民俗雑話
「かごしま文庫63 奄美民俗雑話」
登山修・著 春苑堂出版・発行
2000年9月10日 発行
そろそろ手に入りくくなっているかも知れません。
著者は瀬戸内町古仁屋の後出身で中学校で教鞭をとり、退職後は県民大学で民俗学の講師を勤め、奄美民俗談話会、奄美郷土研究会をはじめ奄美・沖縄・日本の民俗学会にも所属しています。
著書も多数あります。
本書はその著書の民俗学の研究の中で民俗に関わる語彙(ごい)を多く解説していて、その目次を見るとわかるようにその範囲は多岐に渡ります。
どこから読んでも楽しめる本で、今読み返しても”そういえばこの話はこの本にあったか”というのばかりです。
例えばサツマイモのことを奄美大島北部でトンというのはサツマイモが伝わった中国を意味する唐芋(カライモ)を唐(トウ)と読んだことからといった話が掲載されています。
奄美のいろんな分野につながっていく本だと思います。
登山修・著 春苑堂出版・発行
2000年9月10日 発行
そろそろ手に入りくくなっているかも知れません。
著者は瀬戸内町古仁屋の後出身で中学校で教鞭をとり、退職後は県民大学で民俗学の講師を勤め、奄美民俗談話会、奄美郷土研究会をはじめ奄美・沖縄・日本の民俗学会にも所属しています。
著書も多数あります。
本書はその著書の民俗学の研究の中で民俗に関わる語彙(ごい)を多く解説していて、その目次を見るとわかるようにその範囲は多岐に渡ります。
- 神話・伝説の世界
- 奄美の神話
奄美の伝説
奄美の妖怪 - 民俗語彙
- ことばに見る民俗
地名の民俗
からだの民俗 - 奄美の自然と民俗
- 星空と自然
小動物の民俗
野鳥の民俗
貝の民俗
植物の民俗 - 民間信仰
- 出産の習俗
霊魂と禁忌 - くらしの民俗
- なりわい
食べ物
どこから読んでも楽しめる本で、今読み返しても”そういえばこの話はこの本にあったか”というのばかりです。
例えばサツマイモのことを奄美大島北部でトンというのはサツマイモが伝わった中国を意味する唐芋(カライモ)を唐(トウ)と読んだことからといった話が掲載されています。
奄美のいろんな分野につながっていく本だと思います。
2009年12月24日
奄美の振興開発-住民からの検証
「奄美の振興開発-住民からの検証」
吉田慶喜・著 本処あまみ庵・発行
1995年8月15日 発行
一般書籍の流通では入手できません。
左記リンクのあまみ庵もしくは楠田書店にお問い合わせ下さい。
373news.com:吉田 慶喜氏(元名瀬市議)死去、79歳
昨日の地元新聞で訃報を知りました。
あまみ庵に勤務していたころはよく店頭でお顔を拝見していましたが、じっくりとお話をする機会が無いままお別れとなってしまいました。いつもニコニコと穏やかな表情をされていたのが印象的でした。
奇しくも明日12月25日は奄美群島の日本復帰記念日。
吉田さんは南日本新聞の記事にあるように復帰運動に尽力された方です。
復帰後は名瀬市議会で精力的に活動されていて、この「奄美の振興開発」も委員長を務められていた奄美市議会の「奄振問題調査特別委員会」の提言書をベースとしたものです。
発行されてから14年。奄振(奄美振興開発)はこの本が第三章で吉田さんが提言されたようになったのかといえば、相変わらずハード重視というのは否めないでしょう。
吉田さんの提言から状況は大きく変わってきていますので、提言の内容自体は時代にあわないかもしれません。
しかし、自民党から民主党へと政権が変わった年、これは今後の奄振に大きな影響を与えるでしょう。そして薩摩侵攻400年と、奄美にとって2つの大きな節目になった年。
この本に書き記されている奄振の歴史をきちんと認識した上で、奄美群島に住む人々自らの手による自らのための奄振を考え直すポイントにきていると思います。
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吉田慶喜・著 本処あまみ庵・発行
1995年8月15日 発行
一般書籍の流通では入手できません。
左記リンクのあまみ庵もしくは楠田書店にお問い合わせ下さい。
373news.com:吉田 慶喜氏(元名瀬市議)死去、79歳
吉田 慶喜氏(よしだ・けいき=元名瀬市議) 22日午後2時30分、肺がんのため奄美市の病院で死去、79歳。自宅は奄美市名瀬石橋町2の13。通夜は23日午後7時から、葬儀告別式は24日午前11時から、いずれも奄美市名瀬小浜町29の1、秋葉斎苑で行う。喪主は妻・美佐子(みさこ)さん。
奄美市笠利町屋仁出身。旧制大島中学専攻科(法経科)卒。奄美大島日本復帰協議会中央委員として奄美の日本復帰に尽力。名瀬市職員組合書記長、自治労中央執行委員。1972年に名瀬市議に当選し連続8期務める。
昨日の地元新聞で訃報を知りました。
あまみ庵に勤務していたころはよく店頭でお顔を拝見していましたが、じっくりとお話をする機会が無いままお別れとなってしまいました。いつもニコニコと穏やかな表情をされていたのが印象的でした。
奇しくも明日12月25日は奄美群島の日本復帰記念日。
吉田さんは南日本新聞の記事にあるように復帰運動に尽力された方です。
復帰後は名瀬市議会で精力的に活動されていて、この「奄美の振興開発」も委員長を務められていた奄美市議会の「奄振問題調査特別委員会」の提言書をベースとしたものです。
発行されてから14年。奄振(奄美振興開発)はこの本が第三章で吉田さんが提言されたようになったのかといえば、相変わらずハード重視というのは否めないでしょう。
吉田さんの提言から状況は大きく変わってきていますので、提言の内容自体は時代にあわないかもしれません。
しかし、自民党から民主党へと政権が変わった年、これは今後の奄振に大きな影響を与えるでしょう。そして薩摩侵攻400年と、奄美にとって2つの大きな節目になった年。
この本に書き記されている奄振の歴史をきちんと認識した上で、奄美群島に住む人々自らの手による自らのための奄振を考え直すポイントにきていると思います。
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奄美群島地域ブログ「しーま」




